「ダーリンはネトウヨ」を読んで、トークイベントに参加しました

本を


 イベント当日に読み終わって、「『マイクロアグレッション』という語は使われていないが、それを誰かに説明しようと思った時に勧められる最高の本だ!」と思いながら、西荻窪のイベント会場に行った。


紺色を基調に構成される表紙について、作者のクー・ジャインさんは「海に足を入れている人と陸にいる人の対比」「うーちゃんといっしーの壁」を表現しようとしたと仰っていた。

あとは単純に「海外から来た人」として海に足をつけている状態とも。


わたしには、その「足に水をつけた状態」が、恒常的に体力/精神力を削られるマイノリティの状態を表しているように感じられた。

冷たい水が少しずつ確実に体温を奪っていくように、日常に埋め込まれたマイクロアグレッションはマイノリティを削る。


作中ではうーちゃんが日本の生活の中で少しずつ体調を崩していく様子が描かれるが、それ自体「あるある」な話で、実際にマイノリティは差別を起因とした不調を経験すると報告している調査もある。


日常の中に埋め込まれたマイクロアグレッションは、街頭やヤフコメでみるようなあからさまなヘイトスピーチに比べるとたしかに分かりにくい。

しかし、身近な人から発される悪意ない言葉は、時として直球のヘイトスピーチ以上の傷を与えるものとなる。

確実にダメージがあるにも関わらず、その問題を理解される可能性は低く、「気のせい」「考えすぎ」と個人のネガティブな資質に還元されたり矮小化されたりしやすいため、結果としてマイノリティとマジョリティの隔たりを嫌というほど実感させられることになる。


トークイベントの中でも話題に上ったが、マイノリティ属性をもった状態で生きていると嫌なことがたくさんある。それこそ数えきれないくらいに。その対処法はいつしか身につくし、それぞれの生存戦略があるのは確かなのだけど、そもそも、なんでマイノリティがそんなこと考えなきゃいけないんだ?とも正直思う。不条理すぎじゃん。


逆にいうと、「こういう嫌なことをされたらこう返そう」みたいなことを考えなくて済むのがマジョリティの特権性/優位性であると言えるかもしれないなとも思った。

たとえば自分の例でいえば、偶然を装っておっぱいを触られる可能性を考えて物理的な距離を保って接客するとか、友達からトランスヘイトが出てきた場合をシュミレートしながら話題を調整するとか、ラジオで沖縄の基地建設のニュースになったら昨日あった笑える話をして相手の気を逸らすとか、そういう些細なことだ。

普段はひとつひとつ言語化したりしないし、言語化するとつまんなくて笑ってしまうようなことだけど、ときどきものすごくウンザリしてしまう。

たとえ「直接的な被害」がないようにみえても、「常に可能性に警戒する」ことは生活のリソースを非常に食ってしまうので、その時点でとても不利なのだけど、その不利益への苛立ちや悲しみを伝えるのは、本当に難しい。


そういう、「マイノリティが生活する中で経験するしんどさ」を知らない人に伝える時にどの本を紹介すればいいかわからなくて、ずっと困っていた。

だから、この『ダーリンはネトウヨ』という本が出版されてとても嬉しい。

キュートな絵柄と立体的なキャラクターによって、「説明できないモヤモヤ」がわかりやすく可視化されている。


この本を書いてくださったクー・ジャインさん、企画した金みんじょんさん、解説のmoment joonさん、出版した明石書店さん、イベントを開催した今野書店さん、関わられた全ての方々に感謝をお伝えしたいです。よい本を世に送り出してくださって、ありがとうございます。


(いち読者として勝手なことを言わせてもらうと、明石書店さんにはこの本と「マイクロアグレッション」の書籍とをセットにして販売してほしいです。)


追記。瞬発力の弱いわたしはイベントの質問コーナーで手を挙げることができなかったけど、うーちゃんがTwitterの嫌韓コメントについてつぶやいた時に知り合いから「わざわざ見ない方がいい」と言われ、「わざわざ見たわけじゃないんだけどな」と心の中で思うシーンがとてもリアルで、読みながらうめきました。あと「わたしがバイ(セクシャル)なのも知らないくせに」と独りごちるところもよかったです。(これは単にわたしがそうだから。)


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