ノンバイナリーのスピーチ
『わたしはノンバイナリーです。
今日の場には参加できませんが、レストランの調理場で働きながら、ここに集まっている皆さんのことを思っています。
今回のノンバイナリーアウェアネス週間に際して、ノンバイナリーの声を取り上げようとしてくれた#ありえないデモ の皆さんに、心からありがとうと伝えたいです。
これまでも#ありえないデモでは「トランス女性は女性だ」「トランス男性は男性だ」のチャントに並んで、いつも「ノンバイナリーはノンバイナリー」のチャントが用意されていました。
些細なことに思われるかもしれないけど、ノンバイナリーのわたしにとっては本当に有り難かったです。
今朝「ノンバイナリー」でTwitterを検索したら、「女としてうまくやれず、男になる覚悟もない女の言い訳」という文が目に入ってきました。
まずわたしは、なるほど、そうかもしれませんね。と思いました。改めて言われるまでもなく、わたしは、わたしたちは、ずっとそのように扱われてきたのです。だからその言葉にいまさら驚いたりしませんでした。
ノンバイナリーの人たちはいつだって「女のような男」「男のような女」「女のような男のような女」「どっちつかず」などというふうに呼ばれてきました。
わたし自身、そのような価値観を内面化していたときがありましたし、おどけて振る舞うことで、なんとか生き延びて部分もあったように思います。
しかし、今日この場でハッキリと言わせてください。それは「ちがう」のです。
社会の大部分がノンバイナリーというカテゴリーを承認しなくても、どこかの誰かが「存在しない」と述べようとも、わたしは、わたしたちは、たしかに存在しています。
火星を見たことがなくても火星があるように、火星が存在しないという人がいても火星が存在するように、わたしたちは存在します。
ただ、これまで適切な名前を手に入れられていなかっただけで。
今日ここにいるノンバイナリーの人たち、ノンバイナリーと共に生きるバイナリーの人たち、世界中のノンバイナリーの人びと、ノンバイナリーを包摂するあらゆる取り組み、すべてのコミュニティに、限りない祝福がありますように。
そして、いまだ男女二元論から抜け出せない社会、その中でがんじがらめになり他者を攻撃してしまっている人々にも、いつかよい出会いがありますように。
わたしはひとりのノンバイナリーとして、ただ自分が自分のままで生きられるような社会を希望します。「
何かを得るならば、何かを手放せ」という規範に異議申し立てをしていきます。
婚姻をしたら片方の姓が失われてしまう「強制的夫婦同姓」も、
他の国籍を得たら日本国籍を失う「国籍法」の規定も、
トランスの人が性別に訂正する際に生殖機能を失うよう求める現在の「特例法」も、
考えてみればどれもよくわからないルールです。
そのよく分からない決まりごとは一つ一つ根っこでつながっていて、知らぬ間にわたしたち全員を縛り付けているのだと思います。
現状を変えるために声を上げる人、あげたいと思っている全ての人と連帯します。』
2022年7月16日にありえないデモで代読してもらったスピーチの内容をそのまま掲載します。
画像は美しく咲くむくげ。一番好きな花。
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