『やれることやるよ』とは。
(だれかが)やる必要があることだし、
自分はやれる(状況にある)から、
やる。
わたしの社会運動のスタンスは基本的にこんな感じ。
こういう方針の示し方って難しくて、どうやっても本質主義や、マッチョイズムや、パターナリズムのどれかに近づいてしまう。
誰かと比較して卑屈になるのではなく、知らない誰かにマウントをとるのでもなく、自分のできることをごまかさずにやっていくこと。
とても地味だけど、結局それしかないんだよな、と思う。
人には人の『現場』があって、その価値は他の誰からも貶められるべきではない。
生きること、暮らすこと、そのひとつひとつが『抵抗』だと思う。とくにマイノリティにとっては。
(写真は朝焼けの風景。鉄製の柵が中央に映り、薄い茜色の空と、薄い紫色の雲がグラデーションのように広がっている。)
コメント
コメントを投稿