ジェノサイドを支持しないクィアとして。イスラエルのピンクウォッシングと「クィアプリズムフラッグ」
「パレスチナデモにプライドフラッグを持ってくのってどうなの?」
Twitterを見ていたら、パレスチナデモにプライドフラッグを持っていくことへの疑問をつぶやく投稿が流れてきた。
投稿した人は
「日本人が主催するパレスチナ関係の抗議行動はレインボーフラッグがあるのでムスリムは参加できない/(ムスリムである)自分もそれが理由で参加したくない」
と知り合いから言われたそう。
わたしは、基本的にはどこでもクィアの旗があるべきだし、あって欲しいと思う。
しかしその一方で、イスラエルによる「ピンクウォッシング」が与える効果とそこに対する配慮について考える必要があるとも考えている。
これはどういうことなのか?
ピンク・ウォッシングとは
イスラエル政府による政策の特徴的なものの一つが『ピンク・ウォッシング』。
この言葉は「LGBTフレンドリー」なイメージで、入植やジェノサイドの問題を覆い隠そうとするイスラエル政府のプロパガンダに対する批判的ラベルとして使われるようになった。
“イスラエル政府が、パレスチナ(人)やアラブやイスラム教やイスラエル以外の中東諸国を一括し混同した上でそれらと比較して、同国がまるで欧米のように自由で民主的で進歩的な国であるとアピールしている中で、特に欧米先進国のリベラル層をターゲットとし、同国の中心都市であるテルアビブはゲイ向けの観光都市であり、同国が(パレスチナ/アラブ/イスラムと比べて)LGBTに寛容である、というプロパガンダを行っていることに対し、批判的なラベルとして「ピンクウォッシング」という言葉は使われている。”
(「Feminism and Lesbian Art working group」「ピンクウォッシング/ピンクウオッシング/pinkwashing というのは何かというと」より引用)
イスラエル政府によるピンクウォッシングの実例
わたしの場合、今回のジェノサイドが始まる前から「ピンク・ウォッシング」という語については知っていた。でも、たぶん十分に理解できていなかったと思う。
わたしがその意味をやっと理解したのは、2023年11月13日に、イスラエル政府公式アカウントが「The first ever pride flag raised in Gaza 🏳️🌈(ガザで掲げられた初めてのプライドフラッグ)」というキャプションで2枚の写真を投稿※した時だった。
破壊されたガザの街の前で笑ってポーズをとるイスラエル兵士。1枚目の写真には「In The Name of Love」とメッセージが書き込まれたプライドフラッグを、2枚目にはイスラエル国旗とプライドフラッグを組み合わせたものを両手で広げている。
「こんなグロテスクなプライド」があるかよ、と思った。
その後に読んだ、クィアなパレスチナ人が書いたという「プライドフラッグの思い出」も、読んでいて胸が締め付けられるものだった。
“かつてキッチンの窓だった、明かり取りの窓を見つけた。私はプライドフラッグが、盗まれた私の土地の、祖父母の家に掲げられているのを見た。クィアのパレスチナ人として、プライドフラッグを見て怒りが込み上げ心が折れそうになったのは、この時だけだった。”
(カフェ・フスタート パレスチナのクィアたちQueering the Map パレスチナ/イスラエル 抄訳より引用)
イスラエル政府によるクィア迫害
「中東唯一のLGBTフレンドリー国家」というのがイスラエルのイメージ戦略路線だけど、対パレスチナ(人)という観点から見ると、イスラエルは全然「クィアフレンドリー」ではない。
ゲイやトランスのパレスチナ人を保護したりしないのはもちろんのこと、それどころかアウティング(※意思に沿わない形で家族や周囲にセクシャリティを暴露すること)を脅迫材料にして「密告者・スパイになることを強要」してきたとさえ言われている。
(早尾貴紀「ガザ攻撃 イスラエルの行動に働くジェンダー暴力」内「パレスチナ・フェミニスト・コレクティヴによる告発」より引用)
イスラエル政府のピンクウォッシング、つまり対外的な「LGBTフレンドリー」の顔と、占領地に生きるクィアに対する内政的な顔を使い分けるやり方には、「クィアとイスラエル」を過度に紐付ける効果があり、パレスチナの人々のクィア嫌悪を扇動することにも(少なくとも一部は)成功しているようだ。
規範に沿わない行動をするパレスチナ人が「イスラエル人」と呼ばれる事例※もあったらしい。
こういった現状を踏まえると、イスラエル政府によるあらゆる形態での暴力に晒されてきたパレスチナの人々が既存の「レインボーフラッグ」に違和感を覚えるのは無理もないような気がしてくる。
そこには単純な「クィアへの嫌悪」あるいは「宗教的要因によるクィア迫害」とは別に、「植民地主義に基づく迫害を見過ごす西洋中心主義への怒り」が含まれる可能性を認識する必要があるのではないだろうか。
「レインボーフラッグの簒奪」について、クィアが思うこと。パレスチナのクィアたちの声。
イスラエル政府による「レインボーフラッグの簒奪」はこれまでずっと行われてきた。しかしわたしを含む多くの「パレスチナ人と関わりのないクィア」はそのことに気づかなかった。あるいは気にも留めなかった。
日本でも、イスラエル大使館が後援・ブース出展する東京レインボープライドに対して申し入れを行う人がずっといた※けれど、今思えば、ほとんどの人はそれを無視していた。
わたしも2018年の会場でイスラエル大使館のブース前で抗議する人たちを見かけた記憶があるけど、「なんかやってるな」くらいにしか思っていなかった。
(個人的に、その時はバイセクシャルであることを初めて公の場で表現する直前で、余裕がなかった。でもそれは言い訳だ。パレードを歩いた後にブースに戻ってあの抗議に加わればよかったんだから。)
当然の前提として、「だれであっても」クィアへの差別は許されない。
民族マイノリティであることや宗教的マイノリティであることは、クィアへの差別言動を免責する理由にはならない。
「パレスチナのデモにプライドフラッグを持ち込むのは良くない」という人の根拠が「クィアへの差別思想」なら、わたしはそれを許容できない。
クィアはそれぞれのマイノリティの内部に存在しているし、外部の人間がわかったような顔でマイノリティグループ内の差別を免責するべきではないと思う。
「イスラム教は性的マイノリティに不寛容であるという前提」を無闇に強化することが、オリエンタリズムに基づくパターナルな反応である可能性を考えておくべきじゃないかと思う。
現実に生きている/生きていたパレスチナのクィアたちの言葉は「Queers in Palestine」「Al-Qaws」、あるいは前述した「Queering the Map」などで読める。BabaSubeauxさんのスレッドを読むのもいい。(どれも有志の方によって日本語訳されたもの。関わられている方々に心から感謝しています)
かれらを「いないもの」のように扱うことも、かれらに向けられる暴力を擁護することも、許してはいけないし、イスラエルのやり方に正当性を与えてもいけないと思う。
選択肢としての「クィアプリズムフラッグ」
そこで今、ひとつの選択肢として「クィアプリズムフラッグ」というものがある。
H sinnoさんが考案されたこのフラッグは、従来のレインボーフラッグに欠けている「脱植民地主義の実践、反人種主義、フェミニズム、障害者正義、階級闘争」などの観点を表現しているそう。
(フラッグのデータはH Sinnoさんのinstagramのbioからダウンロード可能)
デモでもスタンディングでもこれを持てば、植民地主義への抵抗と、クィアとの連帯を両方表すことができると思う。わたしも今度のアクションにはこれを印刷して持っていくつもり。
また、このクィアプリズムフラッグに限らず、クィアプログレスフラッグなどデザインの提案は他にも色々あるから、探してみるのもいいかもしれない。
正直いうと、日本は「クィアの権利擁護の法整備が進んでない/同性婚の法制化実現できてないのにバックラッシュだけは激しい」みたいな状況なので、中にはピンクウォッシングについての指摘や「正しさ」を求められることに不条理さを感じる人もいるかもしれない。
利益を享受していないのに反省だけ求められる、みたいなね。
(実際、イスラエル政府はシスヘテロ前提の文脈においても多種多様なプロパガンダ/イメージ戦略を仕掛けてきているのだから、そちらもちゃんと批判するようにしてほしい。)
そういった、色々なモヤモヤをさし引いても、わたしの率直な気持ちとして、植民地主義にクィアの存在が悪用されるのは耐えられないし、ジェノサイドに加担する「プライド」はやっぱりありえないから、考えて、試行錯誤していきたいと思う。
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